【育児子育て】理想の親に固執しない「急かすのもテクニックが必要☆わからないって言っても良い!力まずありのままでOK♪」(生後196日)

【育児子育て】理想の親に固執しない「急かすのもテクニックが必要☆わからないって言っても良い!力まずありのままでOK♪」(生後196日)

【育児子育て】理想の親に固執しない「急かすのもテクニックが必要☆わからないって言っても良い!力まずありのままでOK♪」

生後196日になりました。赤ちゃんは徐々に意思や感情も全面にだすようになってきました。
こうなってくると、いつまでも小さいままというわけではないことに親としても気づく時期です。

少し先の未来を想像しながら、親として子供とどう接してあげるのが良いのかということも考えていきたいですね。
色々考えるとわからなくなってしまう!と嘆くかもしれませんが、考えてあげているという行為こそが大切だったりします。

しかし、考えすぎたり固定観念に囚われすぎるのはあまり良いこととは言えません。
自分ができなかったことを子供に託すという思いも生まれるかもしれませんが、親は親であり子は子なのです。

肩の力をぬいて、ありのままの自分で子供と接するためのコツをまとめました。
※前回の記事は以下から確認できます。

赤ちゃん密着24時(生後196日)

生後196日です。ここのところ体重に変化がみられない。
ずっと7,500グラムをキープ中です。離乳食をとるようになっても変化はそれほどみられず残念。

しかし本人はいたって元気で、毎日たくさん寝ています。
それならそれで良いかと私も特に心配はしていません。減ってなきゃいいさね。

睡眠の方も相変わらず夜泣きは1回ありました。
でも、お風呂上がりから連続で8時間ねているので見守る方もずいぶん楽になりました。

時間 尿 便 授乳 その他
0時        
1時      
2時    
3時  
4時 1回   1回  
5時       ミルク120cc
6時    
7時 1回  
8時 1回   1回 インクレミンシロップ ミルク120cc
9時  
10時   BF
11時 1回     ミルク120cc
12時 1回  
13時   1回
14時     ミルク120cc
15時 2回  
16時 1回 1回
17時 1回   ミルク120cc
18時 1回   1回 お風呂
19時    
20時    
21時        
22時 1回     ミルク120cc
23時      
合計 11回 0回 8回 重6,750g(前日比±0)【睡眠】約10.5時間 【体温】36.5度 ミルク720cc

この日の離乳食(25日目)

大根をすりおろして、レンジでチンして加熱した離乳食に初挑戦!
特に抵抗はなく、素直に受け入れてモグモグした。

そして昨日に引き続きリンゴも食べたが、やっぱり大好きな様子。

お粥もちょっと出汁を加えて風味をご堪能

  • お粥だし入り(2さじ)
  • 大根(1さじ)
  • りんご(1さじ)

急かせる言葉は響かない

幼少期に親から急かされたり、怒鳴られたりという思いをした方も多いかもしれません。

ちょっと手元がくるって食べ物を床にこぼしてしまったとき「またこぼしたの!」「何度言ったらわかるの!」
オモチャを散らかして片付けようとしなかったら「早く片付けなさい!」「もういい加減にしなさい!」

悲鳴にも近い上ずったわめき声がトラウマだという人もいるでしょう。
そして、いざ自分が親となったときに同じように子供に対して喚き散らさないか不安にかられている人もいるかもしれません。

急かしたり喚いたり子供に対して、親がしても実はそれぞれの関心は他にあるので言葉自体は本人には響きません。
子供の興味関心と、親のいらだちは無関係だからです。

そもそも子供は従順なロボットではありません。親の思うようには動かないのが当たり前です。
毎回毎回、子供が思い通りにいかないからと腹を立てて喚いても本人は全く動じることはありません。むしろ慣れっこになってしまいます。

親が子供を「急かせて」「叱って」「喚き散らす」毎日を続けていても、子供に気持ちは届きません。
とても効率の悪い方法をとって、自分自身が疲弊しているだけということに早く気がつく必要があります。

子供もせっかくの成長のチャンスを、だらだらと心が定まらないまま無駄な時間を過ごしているだけでもったいないことです。

親からの圧力ともとれる一方的な言葉は、コミュニケーションとはいえません。
コミュニケーション不足の子供は、外へ出たときに自分の言いたいことを素直に言えないようになってしまいます。

大人しく、影が薄い意思疎通が難しい子。そうならないためにも、まずは親が意識を改革必要があるのです。

自然なリズムが一番

いつでも思ったことを、素直に言える存在が身近にいることはとても心強いことです。
家で気持ちを素直に表現できるようになれば、学校に行っても友達同士でも当たり前のように気持ちを伝えあうことができるでしょう。

そのために必要なことは「急がない」ことです。
子育てや教育、そして躾は1日にして成らずです。

しっかりと子供の気持ちに寄り添って、自分から素直にできるようになるまで信じて待ってあげることが大切です。

そのことが頭にはいっていれば、功を急いで一方的に言葉をなげつけることが間違っていることに気が付きます。
子ども自身に備わっている力を信じて、時には自然に身を任せて見守ってあげることも子育てには必要なことです。

一から百まで、親がなんでもやってあげる必要はありません。
むしろしてあげるなんてもったいないことです。子供に成長の機会をあたえてあげてください。

自然の成り行きに任せていれば、おさまるところにおさまるものなのです。
親は慌てることなく、急かして事に介入しないように心がけましょう。

場合によっては、物事の自然な流れに身を任せた方が良いときもあります。
親はしっかりとその見極めを行ってあげるだけで良いのです。

そうすれば、口も手も出す必要がないことに気が付きます。
事を急ぐから、手が出てしまう。口が出てしまう。

子供自身が自ら行動を取るときは絶対に訪れます。そのときに応じて適切な助言をおこなってあげてください。

子供が食べ物をこぼして、床を汚してしまっても「こぼしちゃったねぇ」「床どうなってる?」という言葉をなげかけるくらいが丁度良いです。
毎日怒鳴られている子であったら、床にこぼした食べ物をどうするかを考える前に「叱られる」「また怒られる」というイメージが先行してしまいます。

叱られることに慣れてしまうと、諦めに近い感情に支配されてしまいます。
「どうせまた怒られるんだ」「慣れてるから気にしない」という具合です。

このような考え方が習慣づいてしまうと、心の行き先も不安定になっていきます。
「何も言わなければ良いんだ」「自分は感情を表に出さずにじっと耐えていれば事が収まる」そう思わせないように、親としては出来ることを考えてあげてください。

単純作業のように、何か事を起こしたら急かして怒鳴り散らす。
何も考えずに発してしまった言葉や叱責が、子供をおさえつけて悪い意味での慣れを植え付けてしまうことに気が付きましょう。

急かすのもテクニックが必要

親は何故、急かしたり叱ったり手を上げたりするのでしょうか。
それは単純に楽だから、親からそうされてきたから等の思いが隠されています。

子供の何気ない対処の仕方の中に、良い場面をみつけて言葉をみつけて投げかけることが大切なのは誰もがわかっていることかもしれません。
そのプラスの言葉をなげかけることが、テクニックであり効果のあることなのです。

叱られるとおもって、嫌な時間を乗り過ごそうと意識が他にいっているときに親からプラスのことを言われたらどうなることでしょう。

食べ物をこぼしてしまったときに、もしかしたら子供はこぼさないようにちょっと手をのばしていたかもしれません。
その事を見過ごさずに、「ああ!惜しかった!」「ちゃんとこぼさないよう手で拾おうとしていたんだね」という言葉があるだけで意識は向こうにいくことはありません。

意識がこちらに向いたときに「こぼしても大丈夫だよ」「こうやって床をふけば元通り!」と教えてあげればよいのです。
そうやって繰り返し教えてあげながら、自分で床をふけるようになるまで待ってあげてください。

そして、自分から出来るようになったら褒めてあげるのが親の役目です。
そうすると子供の心にはプラスのイメージで溢れかえります。急かすことなく怒鳴り散らすことなく、タイミングを見計らうだけで良い方向に持っていくことが出来ます。

心の方向が一致したときに、親が投げかける言葉は生きてきます。
そのことをしっかりと理解してあげて、実践していくだけで子供は素直になっていきます。

親だって同じ人間

ここまで色々と理想論のようなことを言ってきたかもしれません。
人間は色々な考え方をもっています。それは親でも子供でも同様のことです。

しかし、親は誰でも子供のために考えて励んだ結果に間違った行動をすることだってあります。
親だって人間であり、世間体を気にしたり育児や子育てから逃げ出したいことだってあるはずです。

親だから真面目に、愚痴をこぼさずに何事も子供のために従事する必要があるなんていうことはありません。
育児や子育ては延々に続くものです。弱音をはいたり、自信がなくなることは当たり前にあることです。

何をどうすべきか迷ってしまい、自分のしてしまった子供への行為に気を病んでしまい自分自身を問い詰める必要はありません。
なぜなら色々あって当たり前だからです。みんな同じ人間です。

以前に、人の持つ3つの心について記事にしました。

このことを理解することができれば、心の負担はだいぶ楽になることでしょう。

  • 自分の都合ばかりを考える自分勝手な「我」という心
  • 他者に認めてもらうことで育つ「超自我」という心
  • 我と超自我のバランスを調整する「自我」という心

人間は3つの心を多かれ少なかれ、調整することで平穏をたもっています。
この人は我がつよいな。自我がしっかりしているな。と分析できる能力がそなわると、人からの圧力に動じることはなくなります。

それは自分自身にも言えることです。心のバランスを理解することで、子供のめちゃくちゃな言い訳も素直に受け止めることができるようになります。

変に親であるからと、無理にためになる言葉を考えて上げる必要もないことに気づくことでしょう。
子供の言うことに腹を立てて反論せず、「うん、そうかもね」とアッサリ返事することだって悪いことではありません。

気持ちをわかってあげるだけで、子供は十分に自我を育てることができるからです。
やけにアッサリとした返事を目の当たりにすると、子供はそのことについて試行錯誤します。

「もしかして言いすぎちゃったかな」「自分勝手な振る舞いをしてしまったかな」と、反省することだってあるかもしれません。
必要以上に責め立てない事が、子供の心に余裕をもたせて考えるという時間をあたえるのです。

そして、親としては子供の成長の機会を阻害しないように普段どおりに接してあげるだけで元通りです。
後腐れのない言動が、子供の気持ちを前向きに保ってくれます。

気持ちも生き生きと、明るい方向に向かってもらうために親も肩肘はらずに理想に縛られないよう生きていきたいですね。

わからないって言ってもOK

子供がうまれると、親は「親らしくしっかりしないと!」と気構えてしまうものです。
いつだって何か役立つ言葉をなげかけようと、変に意識をして子供と接してしまうこともあるかもしれません。

しかし、親である前に人間ですから力む必要はないのです。

それは子供も同様です。実はしっかりと親のことを観察していたりします。
自分のために親が無理して頑張っていることを、子供は十分に理解しています。

親が自分自身を、同じ人間同士と考えて良くも悪くも自然体で接しているということも理解することができます。

変に親らしくと肩肘はっていることも、子供は見抜いている可能性だってあります。
親はなにかと二者択一で「はい」「いいえ」を子供に求めがちです。

でも、何事についても二者択一で回答できるのかを考えてみてください。
物事を白黒つけたがるのは、わかりやすくしたいからです。世の中にはハッキリできない事案はたくさんあります。

もしかしたら、はっきりと区別できること自体珍しいことかもしれませんよ。

ましてや、自分の気持ちを素直に言葉で表現することができない子供に対して二者択一を迫ることは無理があります。
「はい」「いいえ」を強要する前に、「わからない」という選択肢もあることを教えなくてはいけません。

「何の動物が一番好き?」という普通の質問でさえ、子供は困惑します。
犬や猫、鳥など動物の事が大好きな子供にとっては単純にコレ!という答えはみつかりません。

「いるの?」「いらないの?」
「行くの?」「いかないの?」

そんな迫りくる質問を強要すること自体が、子供を萎縮させてしまい言いたいことを素直に言えない状況を作り出しているのです。

「わからない」という選択肢もあるんだよ。ということを教えることで、子供も心に余裕をもつことができます。
そうすると何でも思いついたことを、素直に口にできるようになっていきます。

プレッシャーから開放してあげることで、こうも子供は生き生きと変貌することを目の当たりにできることでしょう。


生後196日まとめ

さて生後196日目でした。今回は子供が素直に言いたいことを言えるようになるために、親としてできる考え方をまとめました。

特に白黒はっきりさせたいという考え方は、社会にでて仕事をバリバリこなす親からしたら当たり前の姿勢かもしれません。
しかし、なんでもかんでも白黒はっきりさせることなんて無理ですよね。

子供も、まだまだわからないことだらけなんです。
だから、大人もその気持ちに寄り添ってあげることが大切ということを認識しなければなりません。

親も子供も人間同士ですから、互いに意見が食い違うことだってあるはずです。
そんなときに、親としても気持ちをくんであげたり変に一方的な言葉を突きつけたりしないことが重要ということがよくわかりました。

私も、どちらかというと白黒はっきりさせたがる傾向があります。
親として間違った行動をとることもありそうです。

そんなときに素直に我に返って、親として肩肘はらずに子供と接してあげようとする姿勢をとることこそが大切なのではないかということに気がつくことが出来ました。